アーニってなーに?
「アーニ出版のアーニって、どんな意味?」「なぜ出版社の社名にしたのか?」と、よく聞かれます。で、一度は書き止めておかなければと考え、その理由をここに記述しようと思います。
1960年代の私は、劇作家、放送作家、シナリオライターとして、とにかく書きまくっていました。いまもアルバムには、NHKテレビのアンデルセン原作『パンを踏んだ娘』や、ニッポン放送、文化放送、TBSテレビ、フジテレビ他の帯番組他、マイクに向かっている「深夜ナマ放送」の若き日の私の姿も残っています。
中でも大事に保存してあるのが、北沢杏子脚色の上演台本2冊。その一つが労音(勤労者音楽協議会)20周年記念(1969年)のミュージカル『だから!青春』(主演 尾藤イサオ、アン真理子)、もう一つが、昭和40年度(1965年)児童演劇コンクール・最優秀賞受賞、全国巡回の栄誉に輝いた劇団「風の子」上演の『アーニ・クーニの歌』です。西日本児童演劇協議会編集の季刊誌「げき」に掲載されたこの台本(1969年)は、いまも手許にあるので、1965年から69年にかけて、全国の児童劇団により幾度か上演されたものと思われます。
最近、この脚本の原作『小さな魔法使い』(ジャニーヌ・パピィ作、大島辰雄訳、岩波少年文庫、1957年刊)をみつけ、夢中で読んだのですが、私の台本は原作とは全く違って、ナチス・ドイツ占領下のスリリングな物語に脚色されています。
時代は第二次世界大戦の末期(1944年)、連合軍のノルマンディ上陸の少し前。場所はフランス中南部カルタン県レナック地方のマゼという農村。登場人物は、パリから、ママのばあやだったアルフォンシーヌの家に疎開してきた少年ジャンと隣の桃爺さんの孫ルイ、村長の息子で悪ガキのフェリックと手下のチビ、そしてやはりパリから疎開してきたユダヤ人の盲目の少女マリー。この5人の少年少女が、ナチス・ドイツの占領下で繰り展げる物語です。
あるとき、盲目の少女マリーが、フリュート奏者の母親からいつもきかされていた「奥深い森に住む幻の鳥、小夜鳴鳥の声を聞きたい」と訴えます。その願いを叶えてやろうと、奥深い森に出掛けたジャンとルイ、マリーの3人は、有刺鉄線を張り巡らしたドイツ占領軍基地に迷い込んでしまいます。そして、ドイツ巡察兵に見つかりそうになって逃げ込んだ洞穴で、フランス空軍の傷ついた兵士ローランに出会うのです。
子どもたちはローランを助けようと、いろいろ策をめぐらし、桃爺さんから傷薬を、ばあやからは食糧をかすめとり、洞穴のローランを看護します。さらに彼を、ドイツ占領下におけるフランスのレジスタンス組織「マキ」の許に、ひそかに送り届けようという冒険を企てるのです。その間には、徴用から逃れて帰宅したばあやの息子ピエール(実は「マキ」の団員)がドイツ巡察兵に連行されるやら、ばあやが大事な乳牛を売り、その代金を賄賂に、村長に頼んで連れ戻すやらと、さまざまな事件もあり……結果、村長の息子フェリックスやチビとも連携したジャン、ルイ、マリーの5人の子どもたちが、ローランを「マキ」の潜伏先に送り届けることに成功します。
この時の子ども側とマキ側の秘密の合図が、ピエールに教わったインディアンの勝鬨の歌『アーニ・クーニの歌』なのです。♪アーアーニ、クーウーニ♪とひそかに歌うと、♪チャーアーウ、アーニ♪と返ってくる。これで味方だとわかるわけですね。
♪アーアーニ、クーウーニ、チャーアーウ、アーニ、アウア、ビカナ、カイナ、エーエーエ、タウニー♪♪
こうして、フランス空軍兵士のローランは、無事に「マキ」の許に到着しますが、途中でドイツの狙撃兵にあって、ジャンが撃たれそうになったとき、彼をかばい、銃弾に倒れたのは、ばあやの息子ピエールでした。
ラストシーンは、アーニ・クーニの合唱の中、「マキ」の団員群の先頭に立つローランと、同志たちにかつがれたピエールの遺体、そして子どもたち5人が客席の間を行進してきます。♪アーアーニ、クーウーニ、チャーアーウ、アーニ……♪と歌いながら(このメロディは、いまも鮮明に私の脳裡に、よみがえってきます)。
1969年10月23日、私は自宅の1室に1台の机と、1本の電話を引き、日本初の性教育専門出版社を設立しました。そして社名を、迷うことなく、この劇「アーニ・クーニの歌」からとり「有限会社アーニ出版」としたのです。