なぜ性教育を?

少年院での出会いが原点

北沢杏子

「なぜ、性教育を?」とよく聞かれます。
私が性教育の仕事を始めたのは1965年。文部省(現・文部科学省)の婦人教育課長だった、塩ハマ子さんから、思春期の子どもを持つ母親への性教育教材「明日では遅すぎる!」の制作を依頼されたのがきっかけです。男性有識者らによって定められた「純潔教育基本要項」の「処女性の尊重、貞操観念の確立」といった内容では、もう追い付かない時代。若い女性の書き手を探していたのでしょう。
当時の私は、ミュージカルや児童劇の脚本を書くかたわら、NHKや民放のテレビドラマを書きまくっていました。そこに持ち込まれた不慣れな性教育の仕事ですから、慌てて性科学、性心理学などの専門家の許に走り、性教育先進国だった北欧諸国の取材を始めました。
ところが時を同じくして、法務省からも少年院の矯正教育教材「光を求めて」の制作依頼が飛び込んできて、私は2年間、全国の少年院を回り、入所中の少年少女の声を録音、編集することになりました。取材現場で、私を慕ってその過酷な成育歴を語ってくれる少女たちと接するうちに「この子たちが正しい性教育さえ受けていたら、こんな悲劇(親による性虐待、家出、売春、薬物依存、逮捕、少年院措置)は防げたかも」と痛感しました。
私はそれまでの脚本家・放送作家という職業と決別し、性教育の絵本や翻訳本の出版などに没頭し、気が付けば50年経過。今も、学生、教職員、保護者対象の「性=生」に関するゼミや講演、教材の制作、性的問題を抱えた 10代の少年少女たちの相談などの活動を続けています。